塩次伸二の徒然日記
(2004年3月~2008年6月)

PCI Online での連載コラム
(2004年10月~2008年8月)

PCIOnline
(2007年6月
LAでのインタビューとライブ)

Welcome to Shinji Shiotsugu On Line


■2007/01/03 (水) 2007 新しい年になった。 2007年だ。高校生の時「2001年宇宙の旅」の映画の看板を見て2000年てどうなってるんだろうと思っていた、今は映画の看板なんて見ないしネットだ、携帯だと、考えてみれば未来社会そのものではないか。 しかし何か情緒や人間性の欠如や今の音楽にソウルを感じれないのは私だけだろうか。 とにもかくにも時間は止まらず過ぎていくのだ、無常に。 今年の自分的テーマは音を残すことと外国へ行くこと、さらには尿酸値と血圧をあげない、体重を増やさない・・・と厳しい試練が待っていると云わざるを得ない。

■2007/02/02 (金) はや一ヵ月 あっというまに1/12が終わった。 今月は何といっても東京のライブにつきる。 今年を占うにはいい出足で吉と思いたい、さらに充実した東京でのライブを展開したい。 関西ももちろんである。 去年はいいライブがたくさん有ったと思うし、人との繋がりも増えたし内容もいいのが多かった、途切れることのないように盛り上げたいものだ。 伸び盛りの若手とも演奏の機会を増やしたいものだ。 またベテラン→オヤジ連も忘れてはいけない。 今年は大人のための大人のブルーズもちゃんとやりたいと思う。 結局、色々やりたいのだが果たしてどれくらい実現することやら。

■2007/03/12 (月) やばい 最近MIXIを始めたらこっちの日記は全然かかなくなってしまっている。もともと筆無精なのでなおさらだ。

■2007/03/14 (水) 甘物 どうしても甘い物の誘惑から逃れるのは無理なのである。 酒飲みがそうやすやすとやめられないのと同じだ。 羊羹はようかんで食べんとあかんよ、とお袋は言わなかったが子供の時から好きな羊羹がある。 生まれ故郷に大月堂という菓子舗があって、筑豊は伊田というところに店がある、羊羹の名を「黒ダイヤ」という。 黒ダイヤとは石炭のことである、昔石炭産業で栄えた頃にできた菓子だろう、今は町は閑散として当時の面影は無いと言われる、実際子供のころは 石炭から石油に移行する時期で炭坑は段々斜陽になってはいたがまだ町もにぎわいがあった。 しかしいよいよ閉山となると労働者は職を失い町を去っていくことを余儀なくされた、うちもそうだった。 で、子供の時に食べた黒ダイヤ--黒糖羊羹の味が時折思い出されてある日ネットで調べてみると店は健在、さっそく取り寄せてみた。 そして届き一口食べた--それは懐かしい味、なんかジーンと来てしまった、味も変わって無くうまい。 以来時折取り寄せている、今回はどらやきも、これがまたうまい、たまらん。 これじゃあ痩せんわな。

■2007/03/22 (木) MOJO LIVE 昨日のライブ 先ずメンバーは五人、その平均年齢は37歳くらいになる。 実は私と快晴ギタリストの合計が残りの若手三人を足したのよりも 遙かに上回るという情けない話。 元気な若手のアミノ酸を吸い取ってこっちも体が動いた。 そうきは見るたび巧く成っていく、自分の足りないところをよく知ってるのだろう、自分の課題をひとつずつこなしてるようだ。 昨日はWATERMELON MANなんかのbackingが全体のアンサンブルに溶け込んだ実にいいstrings soundを出していた。 Drums 神吉は確実性のある安定したdrummerだ。 実によく歌うdrumである。吸収も早く色々なsessionに顔を出しているのはそれだけ信頼性が高いということだ。 Bassの森多聞は逸材だ、24歳だがその若さで倉木麻衣のREC.TOURに抜擢されたというから実力は証明済みだ。 不敵な面構えと体から出るビートよし、contemporaryなbass senseとしっかりした技術ももちあわせている。 多聞とは3年ほど前にとあるguitar shopで出会った、その時、弾ける奴やなあ、と思っていたが、今回一緒に演奏出来たのはうれしいことである。 多聞の親父さんがライブに来られていたが、実にファンキーなお父さんでゴキゲンだった。 快晴ギター、晴さんは言うこと無し、昨日はまた格別に炎が舞い上がって ステージは火災発生状態だった。 そんな中でかなり気分よく弾かせてもらった。 飛び入りさんも多彩だった、皆さんおおきに、またいつでも遊びに来て くださいよ。 さて明日は昨日飛び入りして豪快なドラムを聞かせてくれたサミュエル岡本氏のクリニックとライブがネガポジである。 DRUMMERならずとも必見である。 生徒さんおいでや、3:1割引したるよ。

■2007/03/24 (土) 春近し 6時になっても明るいのはええわ、4時過ぎたくらいに暗く成っていくのは どうもいかん。 サミュエル岡本氏のリズム・クリニックは充実した内容だった。 今後も続けて行くということなので全面的に協力したい、京都、いや関西でもあのようなコンテンツを実演を織り込んでレクチャーする例はないし できる人間もいないと思った。 このクリニック自体知られてないのは歯がゆいというかもったいない、しかしこの先必ず支持されて行くに違いない感触を得た。 アメリカで修得したノウハウを生かした音楽教育、育成に熱意を持っている。 あらゆる楽器を上達したい、特にプロを目指したいがリズム感が良くないという人、虫歯のようにほっとくとどんどん悪くなって歯槽膿漏みたいになって気がつけば取り返しがつかなくなるリズム感覚の問題は「ほっとけない!」若いうちに理解、把握し、正しい練習法の修得が望まれる。 氏のレクチャーには私もよく知らなかったguajiraというようなLATIN RHYTHMの種類の名称などが出てくる、そしてSAMBAをやろうというとブラジル人は怒るとか面白い話が聞けた。 今日は ▲壇の浦の戦いで平氏が滅亡(1185) ▲エルビス・プレスリー、入隊(1958) ▲中国自動車道全線開通(1983) だそうな。

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| ライブリポート | 昨夜、かふかマイスター館にて、塩次伸二さん、堀尾哲二さん、山田晴三さん、酒井ちふみさん、のライブが無事に終了いたしました。近くから遠くから沢山のお客さま来て頂きありがとうございました。 出演者のみなさまも遠い所こんな田舎まできて凄いパフォーマンスありがとうございました。マイスター館で行われたライブの中で一番デカイ音のライブでした、近所のみなさまに感謝いたします。ゴメンね これぞブルースって演奏で、お客さまもノリノリでした甲賀の田舎もんでもノリまっせー横ノリ縦ノリ斜めノリ気持ち良かったし凄く楽しいライブでした。リポートらしい事書けないくらい素晴らしかったです。
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20日、ページ・ワンにて妹尾氏とのライブも熱かった。有難う様でした。 YOU TUBEにライブ画像がまたアップされた。(提供はEDDIE氏) 今回は田中晴之のソロもフィーチャーされている。 永井ホトケ隆氏のバンド BLUES POWERのギタリスト、ブッチャー浅野氏がお亡くなりになりました。 心より御冥福をお祈りします。

■2007/07/31 (火) 夏へワープ 4/22以来書いていない、何という怠慢・・・・・ 3ヶ月以上経っている。 昨日は参議院選挙だった、結果は自民の惨敗、まあ当然の成り行きだろう。 日本国民はアホやない。 3ヶ月の間の出来事は何といってもアメリカへ行ったことだ。 録音、ライブと充実した時間が過ごせた、やはりあこがれの国だ、求める音が有る(どこかで聞いたフレーズやな)、食べ物はやや不満だが自炊すれば何でも手にはいるし不自由はなさそうだ。 LOSはおしゃれな街だったしNEW ORLEANSは毎日音楽が身近に楽しめ気楽に参加できる、まさに音楽の街だ。 ルイジアナは緑、自然がいっぱいだ。 音楽は熱い、威勢のいいプレイヤーが沢山いて、毎晩熱い演奏を繰り広げている。 また是非行きたいと思う、もっと長く。 日本の夏だ、暑い、しかしnew orleansも蒸し暑い、ちょっと日本と似てるかも知れない。

■2007/08/15 (水) 盆 ライブの関係で福岡県にある兄の家へいいタイミングで寄れた。 徳山、博多のライブは徳山、広島、博多のプレイヤーと演奏した。それぞれの地で頑張っているいいプレイヤー達だ。このパターンでは二度目の演奏だがさらに良かった。 初日の徳山は中国地方きってのギタリスト・ボーカリストである森永氏の店BOOGIEHOUSE、二回目だがお客さんが濃い。奇跡の店である、上のうどん屋がまたうまい。 博多で演奏するのは何年ぶりか、久しく来てなかったので気合いが入った。楽しかったな、また行きたいと思う。 さて兄貴の家では今にも生まれそうな大きな腹をした姪と二人の娘、まだ四歳と七歳、子供は苦手だがなついてきてすごく可愛い。普段味わえないごく平凡な家庭の味、もちろん料理も美味しくいただいた。 盆なので亡き両親も帰って来ていたことだろう。仏壇に何度も手を合わせた。 今日は終戦記念日だ、年に一度戦争を思い起こす貴重な時だと思う。 京都へ帰って来た、すこぶる暑い。

■2007/10/31 (水) 気がつけば はや2ヶ月以上、ワシの日記もあてにならんな、もう誰も読まなくなるかもしれん。 さてアメリカから帰ってからは何かと忙しくてライブやナンヤカヤと慌ただしい日々だったようだ、ようだというのは暇な日はそれなりに過ごし方があるので。 しかしアメリカの想いに浸る一方で現実の日々、このギャップがやっと埋まってきたというか元に戻ったというのだろうか。 あの一月の間に得た感覚は無くしたくないものだ。 いよいよアルバムが二枚立て続けに発売される。 よりアクティブに活動を展開したい、その追い風になることを祈るばかりだ。 最近、ギタリストって何れくらい(どんだけー)理解されてるのだろうかと疑問に思うことがある、いかに素晴らしいアドリブ・即興演奏をしても、何をやってるのかわからないという会話を小耳にはさんだ時はちよっと悲しい気分である。 まあ肉声と言葉はダイレクトだが、ギターの持てる力は同等かそれ以上と思っている、理解されるというか感じてもらうまでやるしかない。 先日病院へ行き心電図とエコー検査をした。担当は女医さんである、優秀な方である。ベッドに横向きになり胸に機器を当てると心臓の様子がモニターに写し出される。 先生「はい、腰をもう少し私の方へ寄せて下さい」、言われるままにワシはお尻から思い切り寄りかかった。すると先生曰く「寄りかかりすぎです」。 ちよっと恥ずかしかった。 幸い心臓の方は調子はいいみたいである。

■2007/11/10 (土) 東京から帰って 長くて短い東京滞在を終えて帰った。 山科に着いた途端、なんて田舎なんだ、と思った。 勿論もっと田舎はやまほど有るだろうが、あの東京のコンクリートジャングルからすれば山科は田舎だ。 近くに山が有るのがいい、東京は西は八王子過ぎないと山が出て来ない。 しかし音楽やるなら東京だなと思う、人材は豊富、日本人のあらゆるタイプが揃っている。 来年から毎月東京へ行くことになる。 住むのは京都、演るのは東京というパターンが自分には合ってるのかもしれん。

■2007/12/20 (木) 冬到来 寒い冬が来た。 ichiroとのBLUES JACKのツアーが終わった。 濃い内容のツアーだった、イチローの素晴らしさがよくわかった、ギターだけではなく、今回のツアーの段取り、マネジメントから全てやってくれた。 私はただただ気持ちよくギターを弾かせて貰った。 ポニーのドラム、驚異の若者である。 日本の音楽も進化してるんだなと、感じざるを得ない。 隔世の感がある、30年前に誰があのようなドラムが叩ける若者が出てくると予測出来得ただろうか。 時代やスタイルが変わろうといい音、カッコいい音は愛され学ばれ知られているのだなと思う。

■2008/06/08 (日) 半年も 日記書かずに半年が過ぎた。 こりゃもう年記だな。 なにやら忙しいこの半年では有った。 月に20本以上ライブが有った月も、こう言うときは帰ってバタンキュー、起きて蕎麦食ってなんやかやとしてるうちにまた現場へ向かう。 いうまでもく演奏家と云うのは日雇い労働者である、しかも補償はない。 音楽好きで無ければ出来ない職業だろう。 周りにはどんな条件でも度外視して演奏の場を与えられたら向かう演奏家はけっこう多い、本当に演奏するのが好きで何にも代えがたいと見える。 何もそこまでして、と思う立場の人もいるかも知れない。 確かにその情熱がないとやってられないと思う。 しかし何より演奏したという充実感を得られるのは代えがたい事だろう。 音楽で人も自分も幸せになれる、これが原点で有ることは解っていても、ライブが立て込んでくると今日はまあええんと違う・・・とか不埒な考えが過ることが無くもない。 しかし手抜きはできない、かなり疲れていたとしても全力で臨まないと悔いが残る。 空気の振動でいい気持ちになれるのだ。 今日も日雇い労働者は空気を振動させに出掛けて行く。

■2008/06/18 (水) 還暦 昨日は妹尾隆一郎氏の五十九回目の誕生日ライブが有った。 来年は60で還暦ということになる。 若いときに知り合った懐かしい一人など大抵は30年を越える。 これからの不安などを口にする妹尾氏だが、それはこちらも同じだ、サバイバルゲームは年と共に厳しくなっていくとすると俺や妹尾氏みたいに年輪を重ねて技を磨いて行く職人タイプのプレイヤーは技が磨かれるに連れて仕事が減るという不条理な話になる。 しかし妹尾氏は言う、「今日みたいにライブが楽しいと、ああ今日は良かった、明日は明日だよ」と思いながら時は過ぎ行く。 気持ちは20代なのだが・・・

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